あ、いやいやこんにちは。
日本でBlogが流行るずっと前、90年代後半のこと。実家に導入されたネット接続環境を用いて高校生の私が何をしていたかというと、エロ画像蒐集ではなく、雑文を読みまくることでした。
雑文とは何ぞや?との疑問にお答えいたしますと、当時30歳前後の独身のお兄さん方が牛丼やカレーやロックや映画や電話帳を頭の上に乗せて踊るのや、その他いろいろについて面白可笑しくエスプリに富んで書き綴られたテキスト群、というのが答えになります。日記のようで日記でなく。随筆に、近いかも。
で、私も雑文を書きたい!と当時高校生の私は非常に憧れたものですが、なんせ雑文書きの彼らと私とではスペックが違い過ぎました。皆さんギターだのベースだのの弦楽器の速弾をマゾヒスティックなほど追求されるのですが、私はハードメタルはおろか、ロックもよく知りませんでしたし。雑文書きの方々の体の推定35%を構成する吉野家も、これまでに友人と怖いもの見たさで一度入ったきりでしたし。雑文界では一般教養らしい死霊のハラワタなんて映画なんて観たことは勿論、題名を聞いたこともありませんでしたし。第一私は女子の人であり、彼らとの年齢差がひとまわり以上もあるときては、とてもその文化教養に付いて行けるわけもありませんでした。

また、雑文書きさん達の間で明確なコミュニティーが形成されていました。「○○さんとこの〜」なんて言って、他の雑文サイトの内容に言及することがときどきありました。これなんてトラックバックのハシリみたいなものだと思います。雑文祭、なんて言って皆がお題に沿った雑文を同日にアップする、なんて催しも開かれていました。しかも凄いことに、皆がそれぞれに面白い文章を書き、非常にクオリティの高い集団となっていたのです。

私はこのような老舗サイト揃いのコミュニティーにのこのこ参加する気概もありませんでしたし、面白い文章を書き続ける自信も全くありませんでした。そこで、徹底して見る側にまわり、それはそれでとても楽しませていただきました。

あれから7年経った今!私は成長しました。吉野家は、数え切れないくらい行きました。大阪で食事をするとすればカレーははずせなくなりました。私は松屋派です。楽器も、ロックでこそないものの弦楽器を弾くようになりました。役に立たない文学もたくさん読みました。

このように私も雑文書きの皆さんにいくらかは近付けたかと思うのですが、残念ながら当時私が喜んで見ていた雑文サイトの多くは休止or閉鎖されているのです。

でも改めて雑文サイトの過去ログを読んでみると、矢張りクオリティーの高い文が多く、またその文自体があの時代を反映していてほろりと来るのでした。