舞台「最高の家出」

れにちゃんが主演ということで「最高の家出」を観てきた。

もうすごい最高だった。

以下、ネタバレありと言うか完全に観た人向けの感想とも言えない何か。

https://stage.parco.jp/program/iede

 

正直、発表された時は「こんなに本格的なお芝居の主演って、れにちゃん大丈夫だろうか」と少し怖いような感じがあった。ドゥ・ユ・ワナ・ダンス?とか、ももクロ一座とかで演技をしているれにちゃんは観て来たけど、脚本含めてあくまでもももクロとしての舞台って感じだったからガチガチの舞台俳優さん達の中に一人はさすがに苦しいんじゃないかと思っていた。

でも始まってみると完全に杞憂で、れにちゃん演じる箒は舞台の中心でキラキラと動いて喋ってその物語を体験させてくれた。

優しいかわいい声がたくさん聞けた。

 

前から3列目という凄い席。しかも上手通路から一席だけ内側。

人生でこんなにれにちゃんに近付く瞬間があるとは思っていなかった。手を差し出せば届く距離でれにちゃんがライトを浴びてひたむきにお芝居をしていた。

そう言えば先週のバレイベ裏も、通路から2列目だった。2週連続でこんなに近くにいるなんて、れにちゃんはもはやマブダチと言っても過言ではないのでは(過言すぎる)

主演の舞台の真っ最中の土日にライブを成し遂げたれにちゃん、すごすぎる。当然ながらその日は休演日になっていた。舞台を借り切った状態で東京公演の土日をまるっと休演日にするとは運営も思い切ったことをするなあと、日曜日に出掛けた新宿で「本日休演」の札が貼られたポスターの非日常感がおもしろかった。

 

この劇はファンタジー要素があって解釈は観客に委ねられる感じ。でももやもやする部分はなく、ちゃんとエンターテイメントとしてまとまっていたのが脚本の力を感じた。

劇中劇という構造を取りつつ、色々なものが暗喩や対比になっていて複雑さが癖になる感じ。例えばアハハがマジックの箱に入って、箒が上手側の扉の前にいるシーン。両方緑色の扉で、アハハは「誰か出してよー」と言っているのに出られなくて、箒は出ることに成功したという対比が印象的だった。もっとも、箒がくぐった緑の扉の先も外ではなくて監禁部屋だったことがすぐに分かるけど。でも一瞬、工場のような車のような音が強く響いて、箱庭のような劇場からディストピアで雑多な外界に出たという開放感があった。

 

箒とアハハのシーンは全部かわいかった。箒が棒読みの極みで台本を読んでアハハがキレるシーン。「出て行って!」「出て行かない!」の押し合いのシーン。劇中に何度もあった、手を引いて走って行くシーン。これは最初はアハハが箒を引っ張ることが多かったけど、後になってからは箒がアハハを引っ張ることが多くなったような気がする。マジックの練習の練習をするシーン。マジックの箱に二人で入って「ムーミンでしょ。トトロでしょ」って左右にちょこちょこと移動するシーン。ほんの2時間ちょっとのお芝居の間に、登場人物の心情も関係性も状況も変わって行く。

マジックと言えば、ももクリでお馴染みの、れにちゃんのぉ、ちょっといいとこ見てみたい♪だ!ってなって面白かった。しかも刺さってるし。

 

背中の、ループしている!という発見はループもの好きとして面白かった。実際にはループしていなくても、背中視点では確かにループ以外の何物でもない。そしてテレカがいなくなった時に「あいつだけでもループを抜けられてよかった」と言っているのに泣きそうになった。その認知のズレから滑稽さが生まれるシーンなんだけど、本人としてはループしているのが真実なわけで、その中で好きな人がいなくなるなんて絶望だと思うのに、相手の幸せを喜べるなんて人間ができすぎている。

 

尾上寛之さんが自然と笑いを取っていてすごかった。役者さんたちみんなすごかったけど、とりわけこの方は芝居がうまいなあと感心した。どっしりしている。そう言えば「夜は短し歩けよ乙女」の高坂役の時も出てくるだけで笑いを掻っ攫っていたなあ。尾上さんのエレキギター、また聴きたいなあ。

個人的に淡路のような楽しい人が好きだから箒がなんで家出までしたくなったのかがよく分からなかった。透明になって行く気分とか説明はあったし、モナカの服を淡路が勝手に処分したような描写もあったけど、あんなに楽しくて場を掌握していいスピーチを書く人物がそんなに迂闊な言動をするか?というのがどうも繋がらない。でもまあ「こりゃあ家出するわ」みたいな嫌な男が出て来てもつまらないし、淡路という魅力的なキャラを見れたからこれでいいんだと思う。

 

お蕎麦をちびちびと食べている箒がかわいかった。そして足鳥が蕎麦嫌いでシャイではなかったのは衝撃だった。そんな中でも動じない身軽はやばいやつだった。それにしても紙飛行機で召集されたって、何だろう。何の比喩なのか。うーん、赤紙と戦闘機くらいしか思い付かないけど安直に過ぎる気がする。

 

やばさと言えば夏太郎もだな。こいつが黒幕かよー!的な。思えば最初に箒が緑の扉を開けようとした時に怒ったの、伏線だったんだな。

そして劇場の謎。テレカさんが読み上げた、やたらと軽いノリの珠子さんの手紙は果たして本物なのかどうなのか疑わしい。

 

珠子さんが帰らなきゃ、と思いつつ帰れなかったシーンは「会社に行こうとして行けないやつー!」ってものすごく身に覚えがあった。でもやっと帰ろうとしたのに帰る場所はなくなってしまった。戦争か災害か。戦時中っぽい描写はなかったから、災害かな。海が近いし。

珠子さんは、家出をして、帰ろうとしたけど、帰れなくなってしまった人なわけだ。

 

アハハちゃんは、これまで劇場の外を信じてなかったけど、外に出てしまった。たくさんの水分があって怖い。彼女は多分劇場には戻らず、新しい居場所を探すんだと思う。

 

箒はどうするんだろう。劇場で透明になりようがない自分を見出したから、意外と淡路の所に帰りそうな気がする。パンフレットで脚本の三浦さんが「家出とは帰ることが前提となっている言葉。永遠に帰らない家出があるとすればそれは例えば失踪とかになる」みたいなことを書いてらっしゃった。このお芝居の「最高の家出」というタイトルは、主人公の箒が帰ってこそ成就する。

 

家族と一緒に土曜日のマチネを観に行って、明るいうちからキリンシティで麦酒を飲み、伊勢丹で少し買い物をして電車に乗って帰る。寄るところがあるという家族が途中下車して行く。こうやって外で別れる時はいつも寂しくて不安で二度と会えなくなったらどうしようという気分になる。家の最寄駅に着くと、いつの間にかとっぷりと日が暮れている。

牛乳がなかったな、と調べると少し離れた所にスーパーがあった。寄って、野菜やお肉もついでに少し買い込んで、重い荷物を肩に家の近くだけど見たことのない道をとぼとぼと歩いていると急にそわそわと落ち着かなく心細い気持ちになってきた。

これは明らかに「最高の家出」を観たせいだ。そして10代後半から20代頃は大体常にこんな気分だったことを思い出した。そりゃあしんどいわ。

 

思い返してみると、この焦燥感を伴う辛い気持ちは大学に入るために実家を出た後から発生している。実家にいた時も辛い気持ちはあったけど、また質の違った辛さだった。

ここで大変なことに気付いた。一応進路のことだしということで親は大きくは反対はしなかったけど、実は進学にあたって始めた一人暮らしは家出で、そしてついに私は家に帰らなかったということなんじゃないか。いやまあ帰省はするけど、そこはもう家ではないと言うか。

 

そう言えば家を出た経緯も唐突だった。家からまあ通えるかな、くらいの関西圏の大学を志望していたけど、あまり考えておらず、センター試験の点数からこれは受かりそうだという大学の後期に書類を送ったら受かってしまった。そして家の近くの前期の大学は落ちた。一応、私立の学校は受かっていた。

私立の学校に行くか、一度も旅行でさえ行ったことのない場所の学校に行くか迷った末、後者を選んだ。我ながら行き当たりばったりすぎる。その結果、ここは日本かと疑うばかりの田舎で4年間島流し暗黒大学時代を過ごすことになる。

 

そう言えば大人になると親のありがたみが分かるなんて言われていて、確かに当時の自分を振り返ってみると、とんでもないな。でも別にありがたみは感じないな。いまだに勝手に産みやがって、という気分の方が強い。

 

でもまあこう考えて行くと、あの焦燥感はまさに家出中の心細さだったと言える。そして今落ち着いているのは、大変幸運なことに結婚して家族ができて、そこが私の家になって、ついに家出が終わったからだ。

新婚旅行で遠い外国に行った時に、家族の顔を見ながら「どこにいても家族の横が私の家だな」って思ったことを思い出すし、今でも折に触れて「どこにいても家族の横が私の家だな」って思う。

 

私は小さい頃から辛いことが多くて生まれてきたくなかったし消えたい気持ちが強かったけど、勉強とか仕事とかまあこなしつつ、この人生の唯一の素晴らしいことは家族と出会えて結婚できたことだと常に思っている。

アニメポプテピピックのエンディングのPOPPY PAPPY DAYの歌詞が本当に好きで、退屈なこの世界だけど君と一緒なら中指立てて生きていけるという精神が全く一緒で泣きそうになる。まあ、家族の方は安定してるしそんなこと思ってない気もするけど。

でも私は実家を出て、放浪して、新しい家を見付けた。