同学年の方と

この方は、来年からD1なんだけど、学校と研究室を移って「サイエンスコミュニケーション」という分野の研究をする予定。修論を書きながらのドクター受験は大変そうだった。
要は一般の人に科学への興味を持ってもらい、社会全体のバイオへの知識を底上げしたいなあというのが目的。そしたら、遺伝子組み替え作物やES細胞なんかに対しても、マスコミに踊らされず個人がしっかりとした考えを持てるんじゃないかな、と。
今の所まずできることは「ゲノム広場」という催しをし、20代くらいの若い研究者に一般の人に対して色々話してもらおうといったもの。


なんかね、もっとバイオが活かされる世の中になって欲しいというのは、バイオに携わった人間だと多かれ少なかれ思うのではないだろうか。修活をしていてつくづく思ったけど、大学院まででやったバイオを活かす仕事というものがあまりにも少ない。今の世論は遺伝子組み替えってよく分からないけど気持ち悪くて怖いよね、といったものだと思う。これをなんとかしないとバイオ事業を伸ばそうとする企業もうまくいかないのではないか。そのためには、うーんどうしたらいいんだろうどうしたらいいんだろうと思考が空回りしていた私にとって、彼がこの分野に進むということはまさに僥倖であった。そこでここぞとばかりにお話を聞いてみた。


医療のインフォームドコンセントから来るんだけど、やっぱり市民がちゃんとした情報を得た上で自分の力で判断することが大切だ。そのためにバイオの知識の底上げが必要になってくる。遺伝子組み替え作物はどういうメリットがあり、どういう危険性があるのか。卵子を提供してES細胞の研究に使われるんだけど、それって結局どういうことか。これらに対して自分で考えるための知識が必要になってくる。
以上は市民に対する教育なんだけど、ゆくゆくは研究者への教育も必要なのではないか。歴史に流れがあるように、科学の発展にも流れがある。転機になるようなできごとや発見があり、だからこそ歴史や科学はこの形に流れ、今こんなふうに発展している、という科学哲学という考え方がある。そういったものを意識することは、研究をする上での立ち位置把握などのために、実は重要なはず。でも日本ではあまりにもないがしろにされてきた。というわけで、改めて科学哲学を研究者に教育できたらいいな。でも難しそうなんだよね。


科学哲学。むむむ。聞いたことあるぞ。大学で教員免許を取るための授業の中で、出て来た覚えがある。ポパーとか。あー、でもほとんど忘れた。ノートを見直そう。
倫理観って騒がれているけど、科学哲学での流れを意識しないと倫理も語れないような気がする。ひいては科学哲学の中にこそ、バイオに対する世の中の感情を軟化させるヒントがあるんじゃないかな。


……なんて色々な話を色々な人とした。全然纏まってないし、嫌がらせのように長くなってしまって申し訳ない。でも充実した2日間だったなあと思う。