マイマイ新子と千年の魔法

映画「マイマイ新子と千年の魔法」はネットで話題になっていたし、面白いんだろうなあと思いつつも映画館に行かず、それが今回テレビでやるのを見付けたので観てみた。
これはもうやられた。
マイマイ」からなんとなく化物語まよいマイマイを連想する程度に前提知識が無い状態から無防備に鑑賞に入ってしまったけど、これはなんという映画なんだろう。


小学生の頃ってわけのわからないものだ。
思いやりとか譲り合いとか言葉を選ぶとか、そういう成長と共に身に付けるはずの人間関係のテクニックが不十分な者が毎日集まっているんだからそれはもう大変だし毎日が辛い。
しかも子供というものは世界が狭い。
世の中には色々と素晴らしいものがいっぱいあるのに、26色の色鉛筆がこの上ない宝物になるという価値観。

ああもうこのぐちゃぐちゃな感じ……まさに子供時代だな。と思いながら観る。


夢のように可愛い金魚に、子供達は若くて綺麗で優しい保健室の先生の名前を付ける。
その先生が結婚するのを聞いて金魚の池をお花やビー玉で飾り付けてみんなで幸せそうに笑うのは、子供にしかできないことで、大人だと先生に直接お祝いの気持ちを伝えてしまう。
先生と金魚は全く関係ないし、金魚を飾っても先生には届かないのにこれでよしとするのはちょっとお葬式にも似た感じのプリミティブな宗教だ。


他にもタツヨシのお父さんの木刀が希望としての力を持ったり、空想の世界で遊んだり、「ダム」するだけで楽しかったりと子供時代が圧倒的なリアルさで描かれている。
映画を観ているはずなのに、誰かの子供時代の感情を直接受け取っているような感じで、自分の子供時代の感情を思い出して、ああもうこれはいわゆる「しにたい」というやつだ。


物語のラストでは子供であることをやめて酒場に向かう新子と、子供らしい空想の世界で千年前に行くことに成功する貴伊子とが対比を持って描かれる。
でも結局は新子は大人になりきれずやっぱり子供だったね、というふうになるんだけど、でもこれからこういうことがたくさん起こって新子は大人になって行くんだと思う。


冒険が終わって、新子はタツヨシに
「その前にいっぱい遊ぼうや」
という声をかける。


始めはこれに非常に違和感があって、新子がこんな綺麗なことを言うはずが無い、と思った。
でも今考えると、この数時間で新子が少し大人的な視点を手に入れたこその言葉なのかもしれない。

物語の幕切れは意外とあっけなくて正直なところ制作中に何か事故ったのだろうかと思ったんだけど、子供って別れる時も「ばいばい」ってあっさり別れるし、子供時代の感情であるこの映画があっさりと終わるのも、らしいっちゃらしいのかもしれない。

映画を観終わった時にはなんだか夏のお昼寝からさめた時のような感じがした。