実はネットって単に+αの提供しかしてないのかもに気が付いてみた

そっか、今日は七夕か。昨日になっちゃったけど。


いや、まあ一応同期との会話の中でも「今日七夕だねー」っていう話題は出たんだけど、やっぱりこうしてブログ編集画面で日付入力欄に「07 07」って数字が入力されているのを見ると、今日が7月7日なんだなあという実感が湧く。こんな実感の湧かせ方はちょっとどうかなあと思うが、私にとっては手帳よりも携帯よりもこのブログ画面こそが日付を実感しやすいインターフェイスのようだ。少し考えてみたが、手帳は一ヶ月の間ページが変わらないので日が進んで行く実感がないし、一方携帯は時計やらマナー印やらの表示に埋もれて日付がダイレクトに伝わって来ないせいなんじゃないかと思う。
一方ブログは「この2006年7月7日に」「自分で」「何かを書く」というふうに、日付情報と自分の行動とが密接に関わっているので日付を実感しやすいんじゃないかなあ。


ていうかうわあ、2006年7月7日だって。未来な感じがするなあ。


ええと前世紀の気分を思い出して考えてみてください。


『2006年7月7日』って『2001年7月7日』ほどドラマチックでもなく、かといって『2050年7月7日』ほど超未来ではない、なんだか日常的な未来なんだけど、でも今の生活とは明らかに違う新しい世界である未来という感じがしませんか?
しませんか私だけですかごめんなさい。


個人的にはそんな「日常的なんだけど今の生活とは明らかに違う新しい世界である未来」なイメージの2006年になんら変わりなく住んでいるということがすこしふしぎなSFなのである。


なんだろ、私が昔考えていた2006年頃の未来ってもっとこう都会的で洗練されているっていうか?朝「カーテン」とか言ったらカーテンが自動で開くとか?自動調理器によって美味しい朝食が用意されているとか?なんていうかやっぱりハード面のイメージに終始していたような気がする。


一方実際飛躍的に進歩したのはコンピュータ、そしてネットの発展に支えられた、まああえて言えばソフト面なのは言うまでもないだろう。


確かにネットによって日常生活はとてもベンリになった。
でも冷静になってみたら「ネットやコンピュータじゃないとできないこと」ってあまりないんじゃないかなあ。
メールは一瞬で届いてベンリだけどお手紙でも通信はできたし、Yahoo! とかの路線案内なんて超ベンリだけど、それも昔から時刻表で調べられたんだし。google の世界中の情報を網羅する検索機能は凄すぎるけど、それもやっぱり昔から図書館なり足で稼ぐなりである程度は調べられたんだし。こうやって個人がwebで情報を発信するにしたって、その気になれば投稿とかミニコミ紙とかあるわけだし。ブログでベンチャー社長同士が交流、なんていうのも昔ながらの名刺交換でいいわけだし、そもそもそんなふうに交流するようになる関係なら、ブログがなくても遅かれ早かれ知り合いになる可能性が高いと思うし。


つまり、ネットによって新たに可能になったことって実はあまりなく、実際にやっていることはけっこう古典的なことばかりなんじゃないだろうか。そしてネットが提供しているのはあくまでも+αにすぎないと。
しかしこの+αが重要で、インターネットは情報量を圧倒的に多くし、煩雑な作業にかかる時間を劇的に短縮し、結果としてアクティブな人材の底上げをすることによって社会に何かが起こる可能性を高めるような役割を担っているような気がする。


なんて言うか、社会の発展の加速装置みたいな?化学反応における触媒みたいな?
なくても社会は回りそれなりに発展してきただろうけど、ネットによって発展のスピードが上がり、また進みうる社会の多様性が多くなったような印象を受ける。


今まではネットのサービスを利用する際は単純に「ふおー、ベンリだなー、凄いなー」と感心していただけだったのだが、今回はなんかこっちの方に考えが行ったので書いてみた。
ていうかしまった、また長くなっちゃった。始めは七夕の話をしていただけだったのに。


最後にもう一つ。
ドラえもんの世界って、ネットやコンピュータ上ではかなり実現することができるかもというのは昔からの持論。ほら、「どこでもドア」とか「もしもボックス」とか。「タイムマシーン(ただし過去限定)」とか「いしころ帽子」とか。あ!「翻訳こんにゃく」まであるじゃん。