第一号ぬいぬい列車

去る二十九日、師走の新横浜駅を午前八時十分発のひかり九号に乗って出発した。行き先は奈良の実家なのであるが、奈良には新幹線の駅がない。京都で降りても新大阪で降りても実家までの時間はそう変わらないのであるが、普段私は新大阪を使うことが多いため今回は趣向を変えて京都で降り、そこから近鉄電車に乗って奈良に向かうことにする。切符には京都に到着するのが十時十分だと記されており、都合二時間新幹線に乗ることとなる。


新横浜に着くと駅のアナウンスがあった。何やら名古屋-京都間で新幹線が徐行運転をしているそうだが、その肝心な理由の部分が不明瞭で聞き取れない。こちらはそう急ぐ旅でもないので列車が遅れたところで困らないし、むしろ新幹線に長く乗っていられるので嬉しいくらいであるが、そうなるとさらに理由が知りたくなる。そこで繰り返されるアナウンスに耳をすませ続けた結果、どうやらゆきのためらしいということが分かった。
今年の冬は暖かいのか、それとも関東が暖かいのか分からないが、今年はまだ特別寒い思いをした覚えがない。なので冬が来たという実感もなく、だからゆきという言葉は想像の範囲外だったので理解に時間がかかったのだろう。


新横浜の待合いは朝早いにも関わらず帰省の時期だけあってけっこう込み合っていた。私には山系君などのお供の者はいないので、大きな荷物と共に自分で実家へのお土産と車中で食べるものを調達しに行かねばならない。新幹線の駅にしては小さい売店と洗練されていない会計の並び順に閉口しながらも、お土産の月餅と、車中で食べるお握り弁当とカフェオレを購入する。お握りとカフェオレの組み合わせはよろしくないが、私は車中でお握りを食べるのもカフェオレを飲むのも両方好きでどちらも捨てがたいためこのようになった。また、新横浜の売店は狭いながらも売り場の人は感じがよく、会計を済ます段にはいい気持ちになれたので新横浜の売店の名誉のためにここに記しておく。


いよいよホームに新幹線が滑り込んできた。ひかりでよいのだろうか、非常にかっこうがいい。この時期にも関わらず運良く窓側の席が取れ、しかも富士山の側である。本日は晴天につき富士山も見えるかもしれない。ついでに言うとこの切符を買いに行った秋葉原みどりの窓口の駅員さんは非常に好みでありまた接客してもらいたいものだと思ったのだが、みどりの窓口に行くような用事はそうそうなく、それ以来果たせないでいる。
席に行くと隣は少し年上の優しそうなお兄さんだった。実際優しく、私のスーツケースを棚に上げるのを手伝ってくれた上にスペースがきつくなったので自分のお土産を犠牲にして足元に置いてくださった。


出発早々、お握りを広げて食べることにする。ふと横を見るとお兄さんも同じお握り弁当を食べようとしていて親近感が湧く。窓の外を眺めながら数口食べたとたん、富士山が現れた。地平線の果てに少し雲がかかった富士山がぽっかりうかんでいて非常に綺麗である。こんなに遠くから見えるものかと富士山の大きさと関東平野の広さにびっくりした。富士山は日本一の山として親しまれているが、江戸から見えるという立地もよかったのだと思う。もし富士山が東北の端の方なんかにあったとしたら、これほど富士山が有名になることはなかったであろう。形がいいのもいい。これほど形がいい上に日本一の高さになるのは偶然のようだが、実は富士山の出来方が形がよく高くなる出来方なのだろうなどと考えながら食事をしていると静岡あたりを通過し、そこではさらに大きく富士山が見えた。樹海だろうか、麓の森や森の中をうねうねと登る道や森林限界が見える。よく見えるから近いように感ずるが、木の大きさなどからよく考えると実は遠いことに気付き、その大きさにくらくらする。


富士山を見てしまうとすることもなくなって、いつの間にかうとうとしてしまったようだ。昨日は会社の同期と忘年会があって寝るのも遅く、また荷造りのために朝早かったのだから仕方が無い。その会では久しぶりに営業の皆とも話せてよかった。研修の頃は皆まだまだ学生っぽかったのだが、半年振りに会ってみると社会人の風格を漂わせているようであった。


途中、ふと目を覚ますとこれまで青空だったのがいつの間にか曇り空になっていた。私は常々お天気の変わる境目を見たいと思っていて、今回はその絶好の機会だったのに見逃してしまったことを残念に思いながらまた眠ってしまった。夢うつつで名古屋を過ぎ、次に目を覚ますと外は雪国であった。ほんの一時間前までは晴天だったのに、少し移動しただけでこれほどまでにお天気が変わってしまうのはとても不思議な感じがする。雪が深く積もり、吹雪になっていてとても寒そうである。ここにきてようやく冬の実感が湧いた。
それにしても流石に京都がここまで積もっているわけはなかろう。晴れから曇りを見逃したかわりに、雪国が終わるところを見届けようと思った。雪は強くなったり弱くなったりしながら依然として降り続いている。積もっている雪が段々と少なくなってきたかと期待して見ていたのだが、またねむたくなってきて一瞬目を閉じて開けたらもう地面の雪はなくなっていた。


京都駅に降り立つと非常に寒かった。大粒の雪が斜めに降っている。駅のアナウンスが関西のイントネーションで面白い。近鉄電車京都線に乗り、雪を眺めながら南下した。新祝園あたりはまだ降っていたのだが平城辺りではやんでしまった。西大寺奈良線に乗り換え、学園前、生駒と辿り着いた。生駒山は富士山ほど美しくはないが、なんとも言えずほのぼのとした趣がある。こうして数時間で横浜から奈良に着いてしまった。


それにしても新幹線に乗るといつも内田百けん(字が出ない)のことを思い出す。実は今回のエントリは百けん先生の文章をイメージしながら書いたのだが、なかなかそううまくはいかないようである。百けん先生の本では「ノラや」が秀逸である。百けん先生の家で飼っていた猫がいなくなり、その猫への思いを切々と綴っていく内容でありうっかり電車の中で読んだら大変なことになること請け合いである。