高校の聖書の先生の言葉

プロテスタントのミッション系の高校に通っていたもんで週に一回聖書の授業があった。
聖書にはいい言葉がたくさんあるんだけど、その中で昨日ふと
「人の欲望とは海の水のようなものである。飲めば飲むほど喉が渇く」
という言葉を思い出した。
実際には聖書には載っていないのかもしれないけど、とにかく聖書の授業の中で聖書の先生に教えてもらった言葉。


「欲望」に「お金」とか「地位」とか分かりやすいものを当てはめてみると、まったくもう人間ってやつは欲深くてしょうがないなあって印象になる。
でも「野心」とかを当てはめてみると、ちょっと待てよという感じになる。野心を持っちゃいけないのかしら。こうありたいというものも無く向上心を失って停滞してしまったら終わりなんじゃないの?って。


そんなことをつらつら考えていたら、ふとこれからは人に優しくしていこうと思った。
これまでの私は人当たりはよかった (ほんとに?) のかもしれないけど、それって結局自分が嫌われるのが嫌でいい顔をしていたに過ぎなかった。
そうではなくて、相手のことを思いやった結果、こうしたらいいんじゃないかなって考えたことを実践できたらいいなあと。求めるばかりだと満たされなかった時にやさぐれた気持ちになってしまうけど、こっちが与える側だとその心配も無いし。


注意しないといけないのは相手に優しくして受け入れられなかった時に怒らないこと。
そもそも受け入れられなかった時点で相手のことをちゃんと思いやれていないということだし、優しくすることによって相手をどうこうするのが目的ではなく、人を思いやって優しくするという行為そのものが目的だから間違えちゃいけない。


でも単に優しい人をやっているだけでは、わけわかんないキャパを超えた仕事が降って来たりするのは身に染みて分かったのでそこは切り分けてビシっと行こうと思った。


なんかキモチワルイ内容になったかもしれないけどたまにはいいよねえ。そんな気分の日もあるということで。